あれは、平成10年11月13日、その日は気温も低く吐息が白かったのを覚えています。おりしも13日の金曜日、私は冗談めいて「おい、今日は13日の金曜だ!気をつけて行けよ。」と仕事に向かう息子に声をかけました。息子は笑顔で「なにいってんだよ、縁起でもねぇ。大丈夫だから、行ってくるよ」と笑顔で家を後にしました。いつも通り空気の透き通った冬の朝、のはずだったのですが・・・。 9時過ぎ、不意に電話が鳴り受話器を取りました。受話器の向こうから聞こえたのは「事故」という言葉。その他は何を話したのかはっきり覚えていません。 病院へ到着し慌てて息子の所へ駆けつけましたが、大きなケガも無く目の上をすこし切っただけ。安心のあまり私と妻はその場に座り込んでしまいました。 そして、治療の準備が出来た先生に付き添われ、ストレッチャーに乗せられたまま「それじゃ、行ってくるよ。」と言う言葉を残し、治療室へと息子は向かいました。 |
数時間後、息子は首にギブスをし、いつも通りの元気そうな顔で戻ってきました。あまりにも普段と変わらない息子の様子を見て、ひと安心していた私の所に医師から診断の結果を伝えるとのことで別部屋へと呼ばれました。そこで信じたくもない事実が知らされるとも知らずに・・・。 医師はレントゲンの写真を見せながら「ぶつかった時に首を左右に振られ頚椎が歪み、二度と歩くことが出来ない生活になります。」と話をしていましたがあまりの出来事で私はしゃべる気力も失っていました。信じたくもない現実から逃げたくなる気持ちでいっぱいで、息子にどう接すればいいか分からず深くしずんでいました。心が痛い。信じたくない。なんでこんなことに・・・。 「出来る限りのことはしてやりたい」との思いで、「ギリギリまで教えないでくれ、息子には辛い現実だから、落ち着くまでは頼むから言わないでくれ」と申告の期日ギリギリまで医師に頼み続けました。 しかし時間だけが無情にも過ぎ、最終期日がきてしまいました。 |
それから数日後、息子と同じ境遇の方々がリハビリを続けている病院に移動することになりました。 しかし、月日が経つにつれ、次第に左手が動くようになり、リハビリのかいもあって車の運転まで出来るようになっていました。 それから一年半後に、車の運転などある程度のことは一人で出来るようになった息子は退院し、我が家へと戻ってきました。 しかし、ここで問題が起こりました。息子を待ち構えていたのは、車椅子では進めない階段、手すりの無いトイレにお風呂、段差の高い廊下など 生活し辛い我が家だったのです。 その時、私はある決心をしたのです。 そこから私の挑戦が始まりました。 |
バリアフリー住宅にするうえで、駐車場からスロープを使い玄関まで上り下り出きる様にし、家の廊下など必要な場所に手すりを取り付けました。 何度も高さの調整や使い勝手を試し、息子の使いやすい環境を作っていきました。 バリアフリー住宅になったからといって、生活すべてが元に戻るわけではありません。 しかし、息子の本音を知っている友人は、「はやく行くぞ!!」と遊びに誘ってくれたと言います。 息子は、本当の友人にめぐり逢ったんだと思います。 |
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私は、バリアフリーに対する考えを皆様に理解して頂きたくこのページで書かせて頂きました。 バリアフリーとは、自立を助けるという役目があり、介護を必要としている人のほとんどが「自分のことはできる限り自分でやりたい」と思っているということ。 お悩みの方であれば、同じ立場でお話出来ると思いますので、お気軽にご連絡下さい。 |